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2015年6月 3日 (水)

牛山充_歌舞音曲停止に関する論説(『音楽』大正元年11月)

編集室より

■學校の大演奏會は十一月三十日(土曜)十二月の一日です。今度はユンケル教師が最後の思ひ出として日本第一、否東洋第一の大演奏會をやって長く消えない印象を残して歸國するといふのですから、どんなに素張らしいものかわかるまいと思ひます(七十〓校正室より参照)

■曲はシュポアー、グリーヒ、ブルッフ等の大作ばかりで、獨奏者は安藤教授やペツォルド教師が大に手練の腕を振はれると云ふのですからこれを聴き落す事は出來ますまい。

■それから今年の八月十三日に歿なった、佛蘭西の大作曲家マッスネーの名譽のために其作も演ぜられます。上野の山はきっとそれらの大樂聖の大作の壮麗、雄偉な大和絃でどよみかへるてせう。

■會友諸君にも今度だけは特別に入場券を買って戴きたうございます。その代り十二月には感じのよい土曜演奏會と邦樂調査の演奏會がありますから。

■それから學友會の入會について八釜しい規則でもありますかとお尋ねになる方がありますが、何の面倒な手續も何もいりません、たゞ會費として半年分一圓三十銭以上、成るべく一年分にして戴いた方が手数が省けて結構ですから一年分か二年分位づゞお拂ひ込み下さる方を歓迎しますが、一年ですと二圓五十銭それを振替口座東京二〇六二番へお拂ひ込みになればそれでよろしいのです。どなたでも構ひません。郵便小爲替でもよろしいのです。

■本誌の八月號へ出した弘田氏の「晝」の歌詞の二番目の「ハルノーノ」となってゐたのを「ハールノノ」と訂正する。そして伴奏があまりシツッコイと云ふ人があったさうですが、それはその人のインタープリテーシャンがわるいので、全體非常に輕く、左の手の初めの音に軽いアクスントをつけて、あとの三十二分音符は、柔く輕く、丁度ギリシアのオリーヴの森の中てニムフが踊りを踊る足取りのやうに弾けば、まあよろしい方へ近いのです。

■世間には随分ワカラズ屋が多過ぎると思ひます。尤も玉石を同架させて平〓でゐるんですからこんなことを云ふのはこちらの野暮かも知れませんがあまり癪に觸りますから一寸云はせて載きます。明治天皇御崩御の御事がありましてから畏れ多くも主上には五日の廃朝を仰せ出されまして一般に歌舞音曲をその間御停止になりました。誠に勿體ないことで何れも深甚な哀悼のなげきの聲のほかに、此深い、厳粛なユニヴァーサルサイレシスを破るものはありませんでした。これもとより然るべきことでございいます。そしてその間は音を以てお上に仕へ奉り、音を以て人心の教養に當ってをる徴臣共も、謹しんで口に唱聲を絶ち、手を樂器に觸れませんでした。

■五日間の御廃朝が終りまして、歌舞音曲禁止の令がとかれまして、もはや差し支へないとのお布令がありましたのは、そのためにこれを生業としてをる下民が、若しも停止のために難渋してはとの有り難い大御心と承りまして私共は感涙に咽びました。そしてこれを生業としてをる下々の者迄も大御心のあまり尊く有難さに、なほ勿體なく思ってずっと御遠慮申し上げて居った向も尠くなかったとの話。有り難いお上の御思召しに對する、下民の美しい感謝の至情の發露として、又我國に於てのみ見るを得べき尊き現象として喜びました。

■併し乍ら全くこれによって僅かに糊口の資を得て居る、音樂の師匠、僅かに一管の尺八や、一提の三絃を以て親子三人の露命を繋いてゐる門付けや、縁日のほのくらい小路に土座して見えない目に涙を流し乍ら、覺束なげの追分けや松前の一と節に、鬼のやうな丈夫の腸さへ九回の思あらしめる可隣な尺八吹きを忘れることは出來ませんでした。それと同時に

■音樂を以てライデング・ヂェネレーションの精神教育に従事してゐる我満天下の音樂教員諸氏の苦衷を思ひやらないわけには参りませんです。

■聞くところに依れば文部省の夏季講習會で得た音樂の智識を、九月の新學期よりの小學校の唱歌教授に間に合せるために、急いであの盛夏三伏の炎暑の候をも顧みず、それぞれ國へ歸って小學教員の講習をするために、自宅でピアノを弾いたからと云って早速不謹慎呼ばはりをした新聞があったさうである。甚だしきは不忠の二字を冠らしめた賢明なる社會の木鐸を以て任ずる記者があったさうである。

■もとより斯の様な新聞の言説は私共の一願をも價しないものであることは十分承知してゐます。従って彼等に向って今更に教へるところがあらうとするほど愚かでありません。然し世の中にはかゝる愚論にさへ迷はされる人の多い此の世ですから少しばかり自分の考へてることを云ってみたいと思ひます。

■第一に私共の取り扱ってゐる音樂は、少くとも學校音樂は(成るべく私は厳格な意味の音樂全體を意味したいのであるが今便宜のため特に學校音樂として置く)國家を擧げて深厳な喪に服すべき時と雖も決して廃すべき性質のものではない。否一日と雖もこれなくしてはあるべからざるほどの権威と力とを有ってゐるものとしたい。私共の取り扱ってゐる音樂は御遠慮申し上げて居っても差し支へのない様な所謂歌舞音曲とは全然其性質を異にしてゐるものと解釈したい。

■古への聖帝明王がこれを以て國を治め、古への聖人賢者がこれを以て人の心を高きに導いたその神聖なる音樂、これが私共の一生を賭して守るべく養ふべき音樂ではあるまいか。即ちこれなくしては一日たりとも國を治めることは出來ない、これなくしては人の心を浄化することが出來ない、さうした貴い力、さうした神聖権威、これが私共の音樂ではないだらうか。

■私共の音樂は徒らに慰さみ半分に弄ぶ賤妓や蕩兒の音曲ではない、大きく云へば治國平天下、人心教化の聖力として、至高至上の権威であるからして、これを行使するに方って何等〓々たる俗論を顧慮して居る必要があらう。最も細心の熟慮の後、最も大膽に私共の天職の遂行のために勇往邁進すべきではありませんか。そして完全に此天職を爲し遂げた時、私共は私共の天皇陸下に對し奉って最っも善長な、忠臣となり、又人道のために最も偉大な勇者とも仁者ともなれるのではありますまいか。

■若し私共の取り扱ってゐる「音樂」が、他の「歌舞音曲」とか「鳴り物」とか云ふやうな極めて哀れな立脚地しか有って居ないものと同じ名の下に御遠慮を強いられてこれに盲従して居なければならない様な無價値な、無権威のものならば、早速そんなものを数へるために貴い時間と勞力と金銭とを費すやうな學制を改めて、貨殖理財の道でも教えて、金のモウカル法でも知らせるやうにした方が賢いやり方ではないでせうか。

■人間はパンばかりでは生きて居られるものではないとはどこやらの利口者が千年も昔に云っておきました。人間の心には色々の食べ物が大切です、世の中が文明になればなるほど此心の食べ物に不自由させないやうに、そしてそれもよい心の食べ物を喰べさせてやるやうにカめること、これが明君賢宰相の念頭を去ってはならぬ最大の心配でなくてはならないのです。そして私共は此よい心の食べ物を與へ、その食べ方を教へてやる貴い天職を帶びて來てゐるのであります。皆さんどうして此貴い神聖な務めを一日たりとも怠ってなるものですか。

■愚かな新聞記者――彼等の多くは憐れむべき學者顔をした無識者です――の間違った議論などが恐いのですか、あなた方は此貴い天職を怠る罪の更らに大なるのを恐れませんか。勇ましくお進みなさい、そうすれば障〓は向ふから城を明け渡して逃げて參ります。

■諒闇中だからと云って畫をかくのを止めろと云った新聞のあるのをきゝません、詩を作るのを遠慮しろと云った記者があるのをも耳にしません、小説を出し劇を作るのを不忠である、不謹慎であると叱った社会の木鐸のあると云ふことをも不幸にして語られません。何故社會は私共にばかりかうした片手落ちのやり方をするのでせう。畫かきが顔料と線とを以てその思想感情を發表し、詩人、小説家、戯曲家が文字を以てこれを發表し、彫刻家が石膏とマーブルを以てこれを發表する如く、私共は音と云ふ材料をつかって私共の悲しみも喜びも表はします。

■さうです私共は音を以て私共の悲しみも喜びも發表します。それをなぜ私共ばかりが遠慮しなければ不忠の臣といふきくも恐ろしい汚名を甘受すべく餘義なくされるのでせう。

■愚かな俗人は音樂とさへ云へばと陽氣なもの、他人の悲しみも嘆きも知らぬ樣に小面悪く響くものとか傳習的に間違って思ひひがめて居ます。そして私共の胸一杯の悲しびを籠めて弾く一つ一つの音の傳へる誠實な嘆きの聲にも彼等の耳は聾なのです。四分の二拍子の長調の舞踊曲にも無限の哀愁が絡れてひゞくのを聽いて落涙するやうな心耳を有ってはゐないのです憐れなものですよ。

■又一方から考へてみますと、私共の先人があまりに浅薄過ぎて崇厳沈痛荘重の調べを貽さなかったことにも罪があらうと思ひます。そしてたゞ俗人が好くからと云って軽薄な似而非音樂を濫作した結果音樂は他人の悲嘆の時には遠慮すべきものなりなどゝ云ふ間違った断定をころへさせたものとも思はれます。そしてかうした断定の出るのもつまりは『音樂』が人の心に次ぼす権威の至大なるものを認めてゐるからのことです。ですからこれらの軽佻浮薄な似而非音樂に代ふるに崇高の調、荘重な音を以てしたならば私共が有ってゐる最大の悲しみ最深の嘆きを致さなくてはならないやうな場合に於て、先づ第一に要求されるものは我音樂であるべきことは疑を納れないだらうと思ひます。

■さうしたならば世の中に『音樂は悲しみの時に奏すべきものに非ず』などゝ云ふ様なわけのわからぬ有司も俗人もなくなって、一にも音樂二にも音樂と云ふことになり、従ってそれらの崇高、幽玄、荘重、安偉の音樂が人心に與へる感動より來る好結果は測り識ることが出來ないやうになるだらうと思ひます。

■かう云ってみると矢っ張り罪は半分私共音樂者の方にあるのです。ですから私共は前に云ったやうな、俗衆の下劣な趣味に媚びるやうな俗悪極まる、軽佻浮薄な似而非音樂をすて、高い人類の霊的生活に至大至重の交渉を有するやうな眞の大音樂を造り出さうではありませんか。そして私共のさし向き携はってゐる學校音樂に於ても、少くとも此抱負を以ってコツコツとその土台の建説に盡して戴きたいものです。

■單に思想の遊戯に過ぎない樣なものならば、私共にはそんな音樂は要りませんと思ひます。

【解説】明治天皇が逝去し、歌舞音曲が5日間禁止されたのちの、音楽を取り巻く社会の情勢をうかがうことができる文章である。筆者は、東京音楽学校甲種師範科3年生の牛山充とみられる。雑誌『音楽』は、東京音楽学校学友会の編集発行。主筆(編集主幹)は学友会理事長で生徒監だった吉丸一昌教授。吉丸が指導するもとで、この明治45年の夏から秋にかけての時点では、牛山が事実上の編集主任を務めていたとみられる。

歌舞音曲禁止令が解かれても、音楽で生計を立てている者や音楽教員などは肩身の狭い思いをしていたことが伺われる。心ない新聞記事による迫害もあったようである。吉丸と牛山とに共通の認識があったとすれば、吉丸が大正元年11月2日に『早春賦』を書いた背景にも、こうした社会情勢に対する思いが込められていた可能性がある。

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