2018年1月20日 (土)

【目次】吉丸一昌の時代 唱歌編纂と早春賦の謎

はじめに

[参考]吉丸一昌関連参考文献

第1章 文武両道

帝大卒業、苦境を乗り越え湯原元一と演説部で接点か大学時代は成績最下位東京音楽学校の2つの課題風紀問題と生徒監制度唱歌教科書を編むための人事唱歌作詞の実績は見えず筆名は萬古刀庵

[参考表]五高校友会誌『龍南會雜誌』への寄稿
[参考]吉丸一昌の主な寄稿(音楽学校着任以前)

→縦書きテスト版20150221.pdf

第2章 音楽学校改革

教授陣の顔触れ武島羽衣との確執?オペラ上演中止事件 過熱する批判報道

[参考表]東京音楽学校主な教職員(教授以上の幹部のみ、明治41年)
[参考表]吉丸一昌を取り巻く人たち(明治41年)
[参考]東京音楽学校に関する主な新聞雑誌記事

第3章 尋常小学唱歌

『中等唱歌』編纂の成否武島が作曲家批判 別組織の編纂委員会『読本唱歌』は暫定教科書2人の主任と合議制容赦なき修正・推敲批判続出、『音楽』論説欄で反論遅れた編纂作業解説書をめぐる官民の競争『歌詞評釈』は吉丸が書いた?「高尚すぎ」批判に反論か田村・福井論争の核心 吉丸・武島の間に高野が 民謡・童謡の衰退を危惧

[参考図]尋常小学唱歌編纂の流れ
[参考表]『尋常小学唱歌』と教師用解説書

第4章 雑誌『音楽』

学友会誌を拡張し創刊巻頭を飾る耕作作曲《東天紅》作曲懸賞《水の皺》の試行「楽壇時評」でオピニンオンリーダーにお伽噺、精神修養3部作の出版

[参考表]『音樂』第1号目次(明治43年1月)
[参考表]連載「歌学雑考」一覧(明治44-45年、大正元年)
[参考]『音楽』主な執筆教員と連載
[参考]『音楽』にかかわった主な生徒
[参考]『音楽』主な学外執筆者

第5章 バッシング

文部省音楽講習会の講師に週刊誌『サンデー』の攻撃松崎天民「蛮カラ列伝」「練心不足なり」中傷記事にも学問的示唆

第6章 歌遊び《うかれ達磨》

宝塚歌劇の初演目の因縁白木屋呉服店の少女音楽隊本居長世と歌劇で語り合う北村季晴《ドンブラコ》人気で上演延長本格歌劇のための試作幻の歌劇《春日の森》歌劇問題への洞察と提言

[参考表]お伽歌劇《ドンブラコ》と歌遊び《うかれ達磨》

第7章 新作唱歌と早春賦

選外作を集めて編纂か多い外国曲、一貫性欠ける『新作小学唱歌』に再編集音楽史で高い評価《早春賦》に同名異曲谷の鶯は古歌から着想音数にこだわり時系列の倒置恋歌でない可能性文部省への批判はあったか大町とのかかわりは?南能衛の退職問題《乃木大将の歌》めぐり文部省で賛否

[参考表]『幼年唱歌』『新作唱歌』の日本人作曲家
[参考]乃木大将をめぐる唱歌楽譜の主な出版
[参考]吉丸一昌作詞の主な校歌

→縦書きテスト版20150117.pdf

第8章 武士道歌人

御歌所寄人への批判歌は理るものにあらず我歌は我なり我面目なり筑波会講習会で川柳論沼波瓊音が描いた似顔絵佐々木信綱と比較天長節祝日唱歌鍋島侯を祝う歌奉祝唱歌の公募と審査奉祝歌「謹作」の名誉「国のために尽くせ」凛として秋霜烈日

[参考表]皇室の慶弔にかかわる西洋歌曲


あとがき


第9章 「故郷」の深淵(暫定)


文部省唱歌100年に問う

文部省唱歌100年に問う(1) 黄金コンビは錯誤?
文部省唱歌100年に問う(2) 4人の功労者
文部省唱歌100年に問う(3) 《春が来た》の修正
文部省唱歌100年に問う(4) 田村虎蔵の岡野賛辞の不条理
文部省唱歌100年に問う(5) 超スーパースターはありうるか
文部省唱歌100年に問う(6) 《朧月夜》吉丸一昌が原案
文部省唱歌100年に問う(7) 《故郷》原点は五高の兎狩
文部省唱歌100年に問う(8) なぜ虚像は生まれたのか
文部省唱歌100年に問う(9) 『編纂日誌』を読み解く

【参考資料】

◇作品一覧
●吉丸一昌作詞一覧(331曲 暫定版)
●『幼年唱歌』『新作唱歌』収録曲一覧(明治45年―大正4年)
雑誌『音楽』寄稿一覧(明治43年―大正5年)

◇時事評論
尋常小学唱歌関連評論(「楽壇時評」『音楽』明治44年-大正4年)
民曲民謡俗謡関連論評(「楽壇時評」『音楽』明治45年―大正4年)
歌劇関連論評(「楽壇時評」『音楽』明治44年-大正4年)
夏期講習会関連評論(『音楽』「楽壇時評」明治44年―45年)
大正2年年末回顧(『音楽』)
「歳頭の感」『音楽』(2巻1号、明治44年)
「歌曲雑談」『時事新報』(『音楽』2巻10号)(明治44年)
「井上通泰氏の歌を讀む」『東亜の光』(大正元年)
「歌遊び『うかれ達磨』を評す」『音楽』3巻5号(明治45年)
吉丸一昌の唱歌作譜注意(報知新聞、大正2年)
「歌劇問題の歸趨」(時事新報、明治45年)

◇学術論文・講演
「川柳論」『俳諧講演集』(明治38年3月)
「五七調より七五調に變遷したる原因について」『音楽』3巻6号(明治45年6月号)
「聲詩の三句法を論ず」『音楽』4巻10号(大正2年10月号)
「唱歌の作法につきて」『音楽』(明治44年)
「擬聲態語類集」『音楽』(明治43-44年)
「唱歌格法の變格について」『音楽』3巻2号(明治45年2月号)
「聲詩の根本形式を論ず」『音楽』5巻3号(大正3年3月号)
「聲詩に於ける語句の三形式」『音楽』5巻4号(大正3年4月号)
「玉淵集の研究(一)」『音楽』6巻1号(大正4年1月号)
「音樂教育上より見たる謡曲の教授法『音楽』6巻2号(大正4年2月号)
「唱歌といふ名稱に就て」『音楽』(大正5年2月)
「雪」『音楽』7巻4号(大正5年4月)
「雲雀」『音楽』7巻5号(大正5年5月)
「雨」『音楽』7巻6号(大正5年6月)
「夏」『音楽』7巻7号(大正5年7月)
「太陽」『音楽』7巻8号(大正5年8月)
→「歌学雑考」一覧

◇歌・その他の文章
「畝尾の女神」『帝国文学』4巻10号(明治31年)
「ひともと松」『帝国文学』6巻6号(明治33年6月)
「弦月集」『帝国文学』8巻1号(明治35年1月)
「紅桃」『帝国文学』9巻8号(明治36年8月)
「弱法師」『帝国文学』9巻11号(明治36年11月)
「せゝらぎ水」『教育報知 』656号(明治37年5月)
「高三隆達と隆達節」『白百合』(明治39年)
『修養夜話』序説(明治42年)
「梅の歌」『教育時論』897号(明治43年3月)
「桜の歌」『教育時論』900号(明治43年4月)
「登嶽紀行(一)~(四)」『教育時論』913-916号(明治43年)
「悲しくもあらぬ心を強ひてだに」『音楽』1巻5号(明治43年)
小松耕輔_吉丸追悼歌10首『音楽』7巻5号(大正5年5月号)
「及ばぬ思(歌)」『音楽』4巻9号(大正2年9月号)
吉丸一昌「こんなもんだろ」『音楽』3巻1号(明治45年)
《うかれ達磨》脚本(明治45年『流行』)
東京府小学校教員唱歌講習_『東京教育』277-279号(大正2年)
『瓊音句集』に寄せて(大正2年)
「回顧録」『東京学事月報』(明治41年)

◇死去後
「吉丸一昌先生逝く」(弔辞集:『音楽』大正5年4月)
遺稿掲載のあとがき『音楽』7巻4号(大正5年)
牛山充「吉丸一昌先生」(『教育音楽』1948年)
吉丸昌武「父の思い出」(1981年)

◇その他
「犢鼻褌踊の生徒監 吉丸一昌」『蛮カラ列伝』(明治44年10月、『東京朝日新聞』)
北村季晴おとぎ歌劇《ドンブラコ》はしがき(明治45年1月)
合評「うかれ達磨」(1912年、『早稲田文學』)

(2018.1.20)

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